読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

拾年先の折は

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。

17

晴天。第何次目かしれないバンドブームがなんとなくほどほどの熱さから下がるでもなく続いているのは、これが一度も過熱しなかったからかもしれない。定かじゃないが2009年の時点では膨張後急激にしぼみそうな気配があった。膨らみきらなかったために破裂に至らない微細な孔がポツポツ開いて緩やかに空気漏れしているような感じがある。

 

ともかくも問題はテーマの喪失だ。喪失をテーマにすることもできない喪失の喪失で、喪失をテーマにした過去の仕事をなんとなくなぞっている無聊という喪失に気がつかないか、気づいてはいるけどそこから離れられないのか、喪失に憧れていることが今の悩みですと、堂々巡りのひとりごとをメロディーに乗せて無為な時間を慰めるロックバンドばかりで、聞こえてくる歌詞の次のフレーズが聞くより前に頭に浮かんでくる。そしたらそっくりそのままの歌詞が追いかけてきて、こちらはもううんざりして聞くのをやめる。そのくせ演奏力が全体的にかつてなく高水準に思えるのは力無い歌詞を補うチームワークなのかもしれない。どこにチューニングしてもそんな調子ではこちらの気持ちがクサクサするばかりなのでそれならいっそEDMで踊り狂って憂さ晴らしするほうが健康的だということで昨今の大流行なんじゃあるまいか。

 

しかし憂さ晴らしは本来ロックバンドの仕事だろう。それがお株を奪われているということ、その理由に、エレカシを聴いて思い当たった。

 


ガストロンジャー

 

本気で悩んだら悩みっぱなしじゃおかれない。「結論した」はロックバンドにだけ許される黄金のフレーズだ。結論を大声でひとくさりぶってくれるから、こちらの溜飲も下がるし、憂さが晴れる。結局ロックはハレである。ケなる日々を鬱々と過ごして曲を練り上げ、大結論をひっさげて我々の前に躍り出て、憂さ晴らしをでっちあげるのが。それを我々が消費するわけだが、しかしいくら消費しても枯れない声があって、そういう声を讃えてロックと称してきたし、その芯の硬さがあればこそどこまでも響く鉄の音がして、どこでだって聞きつけた人が集まってくる。

 


U2 - Where The Streets Have No Name

 

こんなふうに。

 

結論を示せ。うそでもいいから。

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。