拾年先の折は

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。

25

快晴。昨晩の錬肉工房「春と修羅」の舞台の静けさを懐かしむ。それは意味の重荷をもたない音や声の静けさ。そんな音の響が空間に限りなく飛び交っていてあちこちで響の粒子が衝突し我々の耳にも聞こえる私信めいた言葉のかたちをとる。私を経由してどこかへ流れていく私信だ。私にも読めそうな文字で書かれているが、その本当の受取人は紙面の文字を模様か何かのように眺めて送り主のことを懐かしむだろう。

24

快晴。昨日は雨上がりを待って洗濯を済ませ午後は国会図書館へ。月初め、というのが影響しているのか午前の雨のせいか単に木曜の常か、いつになく空いていた。尾崎紅葉に関する論文を一つ読み、必要な資料を5点ほどコピーする。3時間半ほどして図書館を立つ。その後あたたかい夜を3時間弱歩いて帰る。十三夜の月が白々と明るいので夜道の写真を何枚か撮る。川か線路のほうへ大きくはみ出した大枝を支える木材に鳥居の形をしているものがあるのに気づく。焼きりんご味のアイスクリームを買って食べる。新宿を避けて代々木のほうに抜けようと思い、信濃町を斜行して国立競技場に迷い込む。解体中か建設中かもわからない円形の構築はコロセウムのように見えた。参宮橋まで歩いて電車に乗る。車内の暑さと春めいた人声にすこし辟易する。

23

雨と風。注意報が出るほどの風が吹くらしいが商店街の吹き抜け通りは雨音だけして、雨は垂直に落ちている気配だ。このところ眠りの質が悪いようで何度も起きたり妙な夢を見たり。寝つきは悪くなかったのだけど昨晩はついに頭が重いような体がこわばるような感じで1時間あまり眠れない。そのうえこうして夜明け前に起きている。眠りも浅いのだろう。起き抜けが夢うつつで今しがたの夢の光景に現実感がある乃至は最近の実体験の記憶と夢の区別がつかない。夢の中の町にはここ数ヶ月行っていないのだからあれは夢だ、と記憶力に確信がないものだから推量に頼らざるを得ない。そんな夢にかぎってSが現れる。夢の中でも夢だとわかるような類の場面には滅多に現れないのに。あるいはSが私の現実だから、Sの非在を頼りに判じていた夢うつつの境線が曖昧になるのかもしれない。数年間でこれなのだ。数十年と連れ添った伴侶を亡くして自失する人が思い遣られる。失ったのは伴侶ではない。失ったのは伴侶なしでは成立しない我が身と我が現実の見境。誰々なしの世界は考えられないなどと言うときも、考えられないのはその人の欠けたこれからのことではなく、その人なしでは嘘や夢と区別がつかないこれまでのこと。夜が白んだ。予報通り風雨が強くなってきた。

22

晴天。昨日のことだが会田誠「Ground No Plan」を観た。会田が下図を構想し、山口晃が完成図を起こした東京都庁城案を見て、会田の構想にはなかったヘリポートが気になった(もともと細部は「良きに計らって」という体の構想なので)。建築基準法では100メートル以上の高層建築物にはヘリポートの設置が義務づけられているようだ。これに準ずるデザインであることがわかる。ところで女性器を模した会田の作品である新国立競技場図案ではクリトリスの上にヘリポートが設置されている。緊急時にはそこにヘリコプターが離着陸するわけだ。肉体が喘ぎ、また喘ぐ。会田誠はつまり、建築が採用され、実現され、猥雑に遊ばれ、批判されて、朽ち果てるまでを芸術家として責任を持って構想しているのだ。

21

快晴。祝日関係なく授業はある。日が落ちて暗くなってから研究室を出て、鍵を返却して、外に出て歩くと、妙に寂しくなるのは季節のせいではないだろう。B大学ではこうはならない、T大学では遣る瀬なくなる。10年来も通うと、ことさら思い出さなくても思い出していることがある。特にその帰りの道行き、闇中に見ると妙に遠く感じる校門、まばらな人影、つまらない壁、それらがほんの少しずつ寂しさを湛えているというか。寂しいというのが火ならば、周囲から気がつかないほどのささやかさで細かい枝葉などがくべられて、火は大きく燃えずとも消えない、そんな感じで春夏秋冬に関せず夜の道行きならばひとえに等しく寂しいのがT大学の帰りなのだ。だから、安住できたらと期待しつつも、出ていかなければならないように思うことがある。

20

快晴。台風とともに夏休暇も終わる。花袋の「蒲団」の締めくくり、帰郷した芳子の寄越した手紙、ガラス戸に影を見る茶色の帽子は、時雄のものか田中のものか。しかも時雄は田中の見送りの姿を知らず、田中はまた芳子の手紙を知らない。

こんなしみったれた小説だったかと呆れ返りつつも、感謝と詫びの手紙の中にそのような決定不可能性の針を差し込んだナラティブの手腕には息を呑んだ。

19

涼しい日。時折晴れる。荒木経惟展「写狂老人A」で公開されたスクラップブック「八百屋のおじさん」を見た。その見開きの一頁目には「これは僕の"ピエロ考"です」と書かれていて、次の頁からは屈託無く銀歯を見せて笑う八百屋のおじさんの写真ばかりが続いた。写真を切り貼りする技法はこのときから使われていた。八百屋のおじさんが着ていた雨合羽を見てゴム引き布とはこういうものかと知った。ピエロは泣き笑いの表情が典型だ。おじさんの泣き顔はおそらく写真のプライバシーのうちに秘匿されている。

 

そういうピントを狙い定めたアート的作為乃至故意はポラロイド写真シリーズをはじめとする近年の写真行為の前では不純物のように思える。(しかしこれは写真家よりもぼくの持ち込んだ不純物だ。)八百屋のおじさんの作中でこの不純物を跳ね除ける連作写真がある。おじさんの顔を左斜め下から捉えたバストアップ写真を連射のように配置したもので、たしか20枚ある。陰影の濃いおじさんの顔は銅像のように見える。銅像はふつう死後に立つ。しかし銅像の連続写真はありえない。生=動と死=静が画中に同時に成立する。泣き顔を秘匿するおじさんという焦点は打ち砕かれる。銅像はなにも秘匿しない。

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。