拾年先の折は

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。

(bblack starr)

時が煙草を一本つまみ上げ、あんたの唇の隙間に差し込む

あんたは一口、二口と酒を飲み下して、煙草をふかす

びっしり詰めかけた客の歓声、止みやしない、だがじきに気にもならなくなる

ああ、あんたまさに、ロックンロールと心中するんだな

 

失うには遅すぎて、決めるには早すぎて、

阿呆面下げた連中がじっとあんたの歌を待っている

長居しすぎた町だからカフェが開いてても素通りする

ああ、まったく、あんたはロックンロールと心中するんだな

 

ふらふらと道を横切ればシボレーのブレーキ音が喚き散らす

それより夜が明けるからあんたは家路を急ぐ

太陽にあんたの幻を蹴散らさせちゃだめだ

牛乳売りの車に心を踏み躙らせちゃだめなんだ

あんたは馬鹿正直なんだよ、信仰のうえでは薄情者でも

 

ちがう、きみはひとりぼっちじゃない

自分を抑えてるにしたってそれじゃ独りよがりだよ

頭がぐちゃぐちゃになってるんだおれがきみに気づかせてやれればって思うよ

ちがうよ、ひとりぼっちじゃないんだ

きみがどんなやつかは関係ない

きみがいつどこでどんな目にあったかも関係ない

ありとあらゆる刃で頭ん中をずたずたに切り裂かれたんだろう

きみの痛みは分けてもらった、分かちもてば和らぐさ

きみはひとりぼっちじゃないんだ

 

おいで、楽になろう、きみはひとりじゃない

おいで、楽になろう、きみはひとりじやない、すてきだよ

楽になろう、ひとりじゃないんだ、きみはすてきだよ

その手をこっちへ、きみたちはすてきなんだもの

その手をこっちへ、きみたちはすてきなんだもの

さあその手をこっちへ

25

快晴。昨晩の錬肉工房「春と修羅」の舞台の静けさを懐かしむ。それは意味の重荷をもたない音や声の静けさ。そんな音の響が空間に限りなく飛び交っていてあちこちで響の粒子が衝突し我々の耳にも聞こえる私信めいた言葉のかたちをとる。私を経由してどこかへ流れていく私信だ。私にも読めそうな文字で書かれているが、その本当の受取人は紙面の文字を模様か何かのように眺めて送り主のことを懐かしむだろう。

24

快晴。昨日は雨上がりを待って洗濯を済ませ午後は国会図書館へ。月初め、というのが影響しているのか午前の雨のせいか単に木曜の常か、いつになく空いていた。尾崎紅葉に関する論文を一つ読み、必要な資料を5点ほどコピーする。3時間半ほどして図書館を立つ。その後あたたかい夜を3時間弱歩いて帰る。十三夜の月が白々と明るいので夜道の写真を何枚か撮る。川か線路のほうへ大きくはみ出した大枝を支える木材に鳥居の形をしているものがあるのに気づく。焼きりんご味のアイスクリームを買って食べる。新宿を避けて代々木のほうに抜けようと思い、信濃町を斜行して国立競技場に迷い込む。解体中か建設中かもわからない円形の構築はコロセウムのように見えた。参宮橋まで歩いて電車に乗る。車内の暑さと春めいた人声にすこし辟易する。

23

雨と風。注意報が出るほどの風が吹くらしいが商店街の吹き抜け通りは雨音だけして、雨は垂直に落ちている気配だ。このところ眠りの質が悪いようで何度も起きたり妙な夢を見たり。寝つきは悪くなかったのだけど昨晩はついに頭が重いような体がこわばるような感じで1時間あまり眠れない。そのうえこうして夜明け前に起きている。眠りも浅いのだろう。起き抜けが夢うつつで今しがたの夢の光景に現実感がある乃至は最近の実体験の記憶と夢の区別がつかない。夢の中の町にはここ数ヶ月行っていないのだからあれは夢だ、と記憶力に確信がないものだから推量に頼らざるを得ない。そんな夢にかぎってSが現れる。夢の中でも夢だとわかるような類の場面には滅多に現れないのに。あるいはSが私の現実だから、Sの非在を頼りに判じていた夢うつつの境線が曖昧になるのかもしれない。数年間でこれなのだ。数十年と連れ添った伴侶を亡くして自失する人が思い遣られる。失ったのは伴侶ではない。失ったのは伴侶なしでは成立しない我が身と我が現実の見境。誰々なしの世界は考えられないなどと言うときも、考えられないのはその人の欠けたこれからのことではなく、その人なしでは嘘や夢と区別がつかないこれまでのこと。夜が白んだ。予報通り風雨が強くなってきた。

22

晴天。昨日のことだが会田誠「Ground No Plan」を観た。会田が下図を構想し、山口晃が完成図を起こした東京都庁城案を見て、会田の構想にはなかったヘリポートが気になった(もともと細部は「良きに計らって」という体の構想なので)。建築基準法では100メートル以上の高層建築物にはヘリポートの設置が義務づけられているようだ。これに準ずるデザインであることがわかる。ところで女性器を模した会田の作品である新国立競技場図案ではクリトリスの上にヘリポートが設置されている。緊急時にはそこにヘリコプターが離着陸するわけだ。肉体が喘ぎ、また喘ぐ。会田誠はつまり、建築が採用され、実現され、猥雑に遊ばれ、批判されて、朽ち果てるまでを芸術家として責任を持って構想しているのだ。

21

快晴。祝日関係なく授業はある。日が落ちて暗くなってから研究室を出て、鍵を返却して、外に出て歩くと、妙に寂しくなるのは季節のせいではないだろう。B大学ではこうはならない、T大学では遣る瀬なくなる。10年来も通うと、ことさら思い出さなくても思い出していることがある。特にその帰りの道行き、闇中に見ると妙に遠く感じる校門、まばらな人影、つまらない壁、それらがほんの少しずつ寂しさを湛えているというか。寂しいというのが火ならば、周囲から気がつかないほどのささやかさで細かい枝葉などがくべられて、火は大きく燃えずとも消えない、そんな感じで春夏秋冬に関せず夜の道行きならばひとえに等しく寂しいのがT大学の帰りなのだ。だから、安住できたらと期待しつつも、出ていかなければならないように思うことがある。

20

快晴。台風とともに夏休暇も終わる。花袋の「蒲団」の締めくくり、帰郷した芳子の寄越した手紙、ガラス戸に影を見る茶色の帽子は、時雄のものか田中のものか。しかも時雄は田中の見送りの姿を知らず、田中はまた芳子の手紙を知らない。

こんなしみったれた小説だったかと呆れ返りつつも、感謝と詫びの手紙の中にそのような決定不可能性の針を差し込んだナラティブの手腕には息を呑んだ。

言葉の言枝の言幹の言根の植わった土を翻訳するために。